石室が二つある一辺78mの巨大方墳 
 今回紹介する龍角寺岩屋古墳は終末期の方墳としては全国最大、一辺78mを誇ります。
動画1に見る林越しに見る墳丘は、雨模様だったこともあり幽玄そのものでした。その方墳という古墳の形式についてこのブログでは詳しく説明をしていません。墳丘がよく残っているこの古墳を例に専門家の知見を紹介しておきましょう。
  格式の点では、前方後円墳、前方後方墳、方墳、円墳の順だということは一般的に知られていますが、白石太一郎さん(近つ飛鳥博物館館長)は著書、古墳の知識1(墳丘と内部構造)(東京美術、1985年)で、方墳は「円墳にくらべるとその数は少なくなりますが、やはり小規模古墳に多い墳丘形式といえます。古墳の出現期にあったかどうかはわかりませんが、前期から終末期に至る全期間を通じて築造されました」と述べています。そして興味深いことに円墳と同様、近畿地方と関東地方に大規模なものが多いことが注目されるとも指摘しています。
  たしかに、このブログでも朝来茶すり山天乞山私市円山丸墓山等々、数多くの近畿、関東の円墳を紹介してきました。復元されたものも含め墳丘が残っている方墳は少ないので、本ブログではさほど方墳は紹介していません。ただ方墳についても円墳同様のこと(近畿と関東に大規模なものが多い)がいえるとし、白石さんは「これは、前方後円墳が造られなくなって以後、近畿や関東各地の有力支配者がこの墳形を採用する場合が少なくなかったためと思われます」と述べておられます。実に興味深いですね。龍角寺岩屋古墳について「同時期(終末期)の近畿地方にもこれだけの規模の方墳は知られていません」と記しています。そのことを裏付けるかのような記述をネットでみつけました。

  「北西部には白鳳期(7世紀後半)に創建されたとされる龍角寺や、律令制下における埴生郡衙跡と考えられる大畑Ⅰ-Ⅳ遺跡などが所在しており、当地域がその後の時代においても中心的な役割を果たしていたことが確認されています。岩屋古墳は、古墳時代から古代へと大きく社会が変化していく、ちょうど画期にあたる時期につくられた非常に重要な古墳であると考えられます」(岩屋古墳現地説明会資料、20121120日).

 南側に東石室、西石室と横穴石室二つを有する高さ13.2mの三段築成の墳丘は、墳丘周囲に南側を除き周堤帯が巡っていることもあり、一辺78mよりも100mほどの方墳に見えます。ただただその大きさに圧倒されます。

 アクセスは成田駅西口から竜角寺台車庫行で竜角寺2丁目下車。バスは成田からきた道を右折してとまります。右折した信号までもどり、その道を直進し、信号三つ目にファミマがあり 県立房総の村の看板があります。なかに案内所があるので地図をもらうとよいでしょう。かなり広いです(撮影2015年4月1日)。


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龍角寺岩屋古墳基本データ

所在地 千葉県印旛郡栄町

形式 方墳

規模 一辺78m、高さ13.2m3段築成

築造時期 7C前半

出土品 不明

史跡指定 国指定

特記事項 3m幅の周溝が巡っている

二つの石室を有し東石室は奥行約7m 幅約2m 高さ3.5m、西石室は奥行き約5m 幅1.7m 高さ約2.5



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