野古墳群に先立つ古墳群
 最近続けてアップしました岐阜県大野町の野古墳群(1218日南屋敷西、125日登越)。野村もみじの間からのぞく古墳の数々、大変印象的でした。その際にも書いたように野古墳群に先だって造られた古墳群があります。それが今回ご紹介する上磯古墳群で、野古墳群から南に6kmほど下ったところにあります。大野町遺跡詳細分布調査報告書(2009)によれば古墳群は、前方後円墳1基、前方後方墳2基、大型円墳1基で構成され、4C 代に連続して建設された首長墓とする見方が有力だそうです。円墳の笹山古墳は消滅し、前方後方墳の北山、南山の両古墳及び前方後円墳の亀山古墳が残存しています。築造も4C前半からその順で行われたようです(全国古墳編年集成、雄山閣出版、1995)。

動画では前方後円墳の亀山古墳は残念ながら紹介していません。野古墳群とは違い周辺が開発され住宅が建て込んでいるのです。亀山に関しては墳丘全体が雑草で覆われ前方部には小屋が建っており、とても古墳にはみえなかったからです。とはいえ、宝永7(1710)の盗掘では後円部から冠、太刀、馬具(鞍)、多量の朱が出たと伝えられ、また現在では県指定文化財となっている鏡(六獣鏡、四獣鏡)も後に前方部からに出土しています。それほど貴重な古墳なら、もう少し何とかならないだろうかと思わずにはいられませんでした。

墳長83mの北山古墳は動画1からわかるように北側にまわると全体像を確認することができました。墳頂の社殿が大きすぎて前方部から後方部を見通すことができないのもこれまた残念でした。もっとも明治期の社殿建設中には内行花文鏡(県指定文化財)、直刀、鉄鏃等が出土しています。ついで造られた南山古墳は北山より一回り大きな前方後方墳です。ただし、残存するのは一部が削平された後方部だけで全体像は想像するしかありません。この古墳からも複数の小型銅鏡や鉄鏃等が出土しているとの記録があります。

野古墳群のほうは残存する古墳の多くは墳丘がきれいに残っている一方、発掘調査が行われていないこともあり出土品は埴輪片が大半です。上磯古墳群については盗掘等々の機会に紹介したような遺物が出土しているのに(前掲、大野町遺跡詳細分布調査報告書)、整備状況はいま一つでした。色々な事情があるのでしょう。ただ今回禁を侵して利用したタクシーの運転手さんも、

野古墳群は知っているが、上磯古墳群は全く聞いたこともないし、お客さんを連れていったこともないと言っていました。HPには同じように紹介されているのに少々気の毒です。

アクセスは大野町役場までは野古墳群の記述をご覧ください。上磯古墳群については、岐阜に戻るバスの時間に間に合わないのでタクシーを使わざるを得ませんでしたが、事前に予約すれば低料金でタクシーが利用できると役場の人にあとで教えてもらいました(撮影2015年11月18日)。

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