蘇った大王(天皇)墓に主に用いられた八角墳!
近鉄吉野線の飛鳥駅から西へ500mほど。高鳥町に向かう道路から、サムネイルにある墳丘がよくみえます。この谷筋から墳丘に近づくことができるはずと思ったのが大間違い。田畑の先には柵があって、通れないのです。やむなく、明日香村役場に電話して、どうやっていったらよいか、聞く羽目に。介護老人福祉施設、明日香の里を目指してくださいとのこと。近くまで行って記憶が蘇りました。10年前に一度来ているのです。ただ当時は発掘調査中でブルーシートに覆われていて、 肝心の横口式石槨にお目にかかることはできませんでした。あの時も、そういえば明日香の里の横の道を歩いたなあと思い出しながら進むと、いよいよ目的地到着。 周辺も古墳近くは樹木も伐採され見通しがよくなって、墳丘だけが目立ちます。築造当時もそうだったのだろうと思いながら、上ってみました。その時は、越塚御門古墳にはメインの牽牛子塚古墳に気をとられていたのか、越塚御門古墳には気づかずスルー。聞いていたとおり、墳丘表面はコンクリートが貼ってあるのではと思うほどのきれいな出来映えです。凝灰岩の切り石ということは、その時はわからず少々、反省。ただ、開口部に近づくと、なにやら掲示が。「事前申し込みエリア」とあり、鍵がかかっています。この日、肝心の横口式石槨は、その石の塊だけをみるだけで終わってしまいました。 後日、明日香村観光協会のHPで調べてみると、土日は、ガイドつきで見学ツアーが行われる一方、平日は、個人でガイドを頼まなければならないということがわかりました。その金額は3000円(見学料金は別途500円)。もっとも、私は牽牛子塚古墳だけ見ればよかったので高く感じられるかもしれませんが、この料金で色々なところを案内してもらえます。お得です。撮影状態に満足がいかなかったために、その後2度にわたり訪問。両ガイド氏ともに、明日香村育ちで、牽牛子塚古墳には、小さいころから、よく来て遊んだとのこと。整備も十分されず、樹木に覆われていて、格好の冒険の場だったようです。この整備されたあとの石槨は、以前の石槨との違いはあるか聞いてみると、以前は、もっと苔むしていたとのこと。たしかに、現在も緑がかっていますが、ずいぶんと綺麗。それだからこそ美しいカーブもはっきりとわかります。それにしても、これまで数多くの石室をみてきた経験からすると、落書きの一つもないというのは稀有なことです。それだけ知る人ぞ知る存在だったのではないでしょうか。 さらに組合せではなく、80トンもある凝灰岩の巨石を刳り抜いて造られていることに、ただただ唖然としました。どうやってあの高いところまで移動させたのでしょうか。斉明天皇は土木事業を数多く行ったことで知られていますが、それだけ、高い技術を持った工人が集まったということなのでしょうか。誰が葬られているかという点でも、牽牛子塚古墳は、大いに関心を持たれています。動画キャプションにも書きましたが、石槨に二つの棺台があることから、一つは天皇本人、そしてもう一つは斉明天皇の娘、間人皇女のものではないかというのです。日本書紀天智天皇六月条の記述に一致するというのです。越塚御門古墳が確認されたことで、より一層、親子が合葬されている古墳ということの確実性が高まっているようです(撮影2023年5月初、7月初、9月下旬)。
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近鉄吉野線の飛鳥駅から西へ500mほど。高鳥町に向かう道路から、サムネイルにある墳丘がよくみえます。この谷筋から墳丘に近づくことができるはずと思ったのが大間違い。田畑の先には柵があって、通れないのです。やむなく、明日香村役場に電話して、どうやっていったらよいか、聞く羽目に。介護老人福祉施設、明日香の里を目指してくださいとのこと。近くまで行って記憶が蘇りました。10年前に一度来ているのです。ただ当時は発掘調査中でブルーシートに覆われていて、 肝心の横口式石槨にお目にかかることはできませんでした。あの時も、そういえば明日香の里の横の道を歩いたなあと思い出しながら進むと、いよいよ目的地到着。 周辺も古墳近くは樹木も伐採され見通しがよくなって、墳丘だけが目立ちます。築造当時もそうだったのだろうと思いながら、上ってみました。その時は、越塚御門古墳にはメインの牽牛子塚古墳に気をとられていたのか、越塚御門古墳には気づかずスルー。聞いていたとおり、墳丘表面はコンクリートが貼ってあるのではと思うほどのきれいな出来映えです。凝灰岩の切り石ということは、その時はわからず少々、反省。ただ、開口部に近づくと、なにやら掲示が。「事前申し込みエリア」とあり、鍵がかかっています。この日、肝心の横口式石槨は、その石の塊だけをみるだけで終わってしまいました。 後日、明日香村観光協会のHPで調べてみると、土日は、ガイドつきで見学ツアーが行われる一方、平日は、個人でガイドを頼まなければならないということがわかりました。その金額は3000円(見学料金は別途500円)。もっとも、私は牽牛子塚古墳だけ見ればよかったので高く感じられるかもしれませんが、この料金で色々なところを案内してもらえます。お得です。撮影状態に満足がいかなかったために、その後2度にわたり訪問。両ガイド氏ともに、明日香村育ちで、牽牛子塚古墳には、小さいころから、よく来て遊んだとのこと。整備も十分されず、樹木に覆われていて、格好の冒険の場だったようです。この整備されたあとの石槨は、以前の石槨との違いはあるか聞いてみると、以前は、もっと苔むしていたとのこと。たしかに、現在も緑がかっていますが、ずいぶんと綺麗。それだからこそ美しいカーブもはっきりとわかります。それにしても、これまで数多くの石室をみてきた経験からすると、落書きの一つもないというのは稀有なことです。それだけ知る人ぞ知る存在だったのではないでしょうか。 さらに組合せではなく、80トンもある凝灰岩の巨石を刳り抜いて造られていることに、ただただ唖然としました。どうやってあの高いところまで移動させたのでしょうか。斉明天皇は土木事業を数多く行ったことで知られていますが、それだけ、高い技術を持った工人が集まったということなのでしょうか。誰が葬られているかという点でも、牽牛子塚古墳は、大いに関心を持たれています。動画キャプションにも書きましたが、石槨に二つの棺台があることから、一つは天皇本人、そしてもう一つは斉明天皇の娘、間人皇女のものではないかというのです。日本書紀天智天皇六月条の記述に一致するというのです。越塚御門古墳が確認されたことで、より一層、親子が合葬されている古墳ということの確実性が高まっているようです(撮影2023年5月初、7月初、9月下旬)。
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