平沢古墳群の盟主墳とされているだけあって3号墳などと比べても、規模が2倍も3倍もある気がします。とはいえ、T字型石室という特殊な石室ですが、羨道、前室、後室の長さを足しても6.75mと、後期古墳の石室の長さに比べればずっと短く、天井も1.6mから1.7mと低い点は、古墳石室が終末期になるとずっと小型化している流れと一致しています。興味深いのは片岩のせいなのでしょうか、石室を構成する板石が超大型であるものの、厚みは20㎝程度と華奢な感じがします。もう少し堂々とした印象を与えるには、厚みがあればもっと見栄えがよかったのにと感じるのは私だけではないと思います。それに比して、天井石の部厚さには驚かされました。その天井石、後室、左側が抜かれていますが、どうやって二次利用のために運搬したのか興味は尽きません。
それにしてもgoogleのマップを見た時にはあまり標高差を意識していなかったのですが、実際に歩き始めると(当日は、まず佐都ヶ岩屋古墳を訪ね、ついで2号墳、3号墳の順に見学した)、だらだらとした坂が続き、ところどころのヘアピンカーブなど、「まだ着かないの」という気持ちに。しかも、ゴルフバッグを積んだゴルファーの車が、どんどん追い抜いていき、こちらはフーフー言いながら標高200m近くまでの徒歩。ならばタクシーでいいのではといわれそうですが、いつも書いているように、車を利用したら古墳踏査の有難味が半減します。古墳時代の人々は歩くしかなかったのですし、幸い、この日は次の移動先まで時間はあります。結果は見事な石室に出会えて気分は上々でした(撮影2022年12月下旬)。
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