雄大な景色に囲まれた奥壁側から入室する不思議な空間
岡谷市の姥懐(うばふところ)古墳(クリック)、唐櫃石古墳(かろうといし)古墳(クリック)を訪ねた帰り、中央線で諏訪湖畔沿いにある3駅隣の茅野駅に向かいました。思ったところとは少々異なり駅前は狭く、コロナ禍ということもありシャッターが下りた商店が軒を連ねていました。離れているせいか諏訪湖もみえません。時間の関係もあり、帰りだけ歩くことにして行きはタクシー。諏訪神社への参拝客もいないようです。タクシーのドライバーさんは、もうそろそろ冬間近、先週も雪が舞いましたとのこと。そうか、ここは標高800m。全国一高い所にある市役所なんだそうです。改めて地図でみると駅の正面も背面も山々が迫り、その間の盆地が街中になっている様子を確認し納得しました。
そんな会話をしているうちにあっという間に、古墳のある守矢史料館に到着です。なかなか趣のある門構えです。諏訪神社の上社の神長官を長く務めた守矢家が残した文書がここに残され、庭園とともに公開されているのだそうです。古墳は、その敷地内の奥まった高い木の下に残されていました。この周辺に数基築かれた古墳とともに高部古墳群を形成していましたが、裏古墳以外はすべて消滅してしまったそうです(現地案内板)。
唯一残された裏古墳の現状も決して良好というわけではありません。墳丘の封土はほとんど流失しスケルトン状態です。しかも標柱から古墳へ上がってみえる開口部は、実は奥壁が抜かれた部分です。本来は羨道のある反対側から入室できるはずですが、入るとわかるように土砂がかなり堆積し困難な状況。ぐるっと墳丘裾をたどっても円墳というイメージがほとんどわきませんでした。
なにやらネガティブな感想を書き連ねましたが、もし完存していたらなかなか立派な石室であったことは間違いがありません。動画で何度かアップしていますが、天井石の大きさから十分想像できます。岡谷のところでも書きましたが、古墳時代後期、それも終末期に近い時期に造られた石室にしては素朴という印象です。 帰りは予定通り歩いてみましたが、これが結構難儀でした。盆地のなかに造られた街並みだけあって、入り組んでいるためです。ほぼ1時間かけてようやく茅野駅に到着。疲れました(撮影2021年10月23日)。
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岡谷市の姥懐(うばふところ)古墳(クリック)、唐櫃石古墳(かろうといし)古墳(クリック)を訪ねた帰り、中央線で諏訪湖畔沿いにある3駅隣の茅野駅に向かいました。思ったところとは少々異なり駅前は狭く、コロナ禍ということもありシャッターが下りた商店が軒を連ねていました。離れているせいか諏訪湖もみえません。時間の関係もあり、帰りだけ歩くことにして行きはタクシー。諏訪神社への参拝客もいないようです。タクシーのドライバーさんは、もうそろそろ冬間近、先週も雪が舞いましたとのこと。そうか、ここは標高800m。全国一高い所にある市役所なんだそうです。改めて地図でみると駅の正面も背面も山々が迫り、その間の盆地が街中になっている様子を確認し納得しました。
そんな会話をしているうちにあっという間に、古墳のある守矢史料館に到着です。なかなか趣のある門構えです。諏訪神社の上社の神長官を長く務めた守矢家が残した文書がここに残され、庭園とともに公開されているのだそうです。古墳は、その敷地内の奥まった高い木の下に残されていました。この周辺に数基築かれた古墳とともに高部古墳群を形成していましたが、裏古墳以外はすべて消滅してしまったそうです(現地案内板)。
唯一残された裏古墳の現状も決して良好というわけではありません。墳丘の封土はほとんど流失しスケルトン状態です。しかも標柱から古墳へ上がってみえる開口部は、実は奥壁が抜かれた部分です。本来は羨道のある反対側から入室できるはずですが、入るとわかるように土砂がかなり堆積し困難な状況。ぐるっと墳丘裾をたどっても円墳というイメージがほとんどわきませんでした。
なにやらネガティブな感想を書き連ねましたが、もし完存していたらなかなか立派な石室であったことは間違いがありません。動画で何度かアップしていますが、天井石の大きさから十分想像できます。岡谷のところでも書きましたが、古墳時代後期、それも終末期に近い時期に造られた石室にしては素朴という印象です。 帰りは予定通り歩いてみましたが、これが結構難儀でした。盆地のなかに造られた街並みだけあって、入り組んでいるためです。ほぼ1時間かけてようやく茅野駅に到着。疲れました(撮影2021年10月23日)。
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