2基の石室が残る京都街中の前方後円墳
京都というと平安京を思いだされる方も多いのではないでしょうか。当然のことながら、はるか以前の縄文、弥生、古墳時代にも人々は住み、現在の伏見区、宇治市を中心に広がっていた巨椋(おぐら)池(湖とみたほうがよいようです)を水上交通の場として利用していたのだそうです。おそらく、6C後半と考えられるこの古墳の被葬者の生活も、巨椋池となんらかのかかわりをもっていたはずです。墳長73mと古墳時代後期の6C中頃にあってはかなりの規模の前方後円墳です。 改めて編集をし直しながら2基の石室を見比べてみましたが、両袖式と無袖式の違いはあれ、使用石材が同じということもあり、そっくりです。巨大石室のスケルトンが残る、あの蛇塚古墳(クリック)の東2kmほどのところにあります。墳丘自体が稲荷神社のようで至るところに色鮮やかな鳥居があります。もっとも住宅に囲まれていて、よくみないと動画冒頭の墳丘への登り口はわかりません。くびれ西側の両袖式の石室に加え、後円部にも無袖式の石室があり、それぞれお稲荷さんがまつられ賑やかなこと。残念ながら、無袖式の石室は今は施錠されているようです。
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京都というと平安京を思いだされる方も多いのではないでしょうか。当然のことながら、はるか以前の縄文、弥生、古墳時代にも人々は住み、現在の伏見区、宇治市を中心に広がっていた巨椋(おぐら)池(湖とみたほうがよいようです)を水上交通の場として利用していたのだそうです。おそらく、6C後半と考えられるこの古墳の被葬者の生活も、巨椋池となんらかのかかわりをもっていたはずです。墳長73mと古墳時代後期の6C中頃にあってはかなりの規模の前方後円墳です。 改めて編集をし直しながら2基の石室を見比べてみましたが、両袖式と無袖式の違いはあれ、使用石材が同じということもあり、そっくりです。巨大石室のスケルトンが残る、あの蛇塚古墳(クリック)の東2kmほどのところにあります。墳丘自体が稲荷神社のようで至るところに色鮮やかな鳥居があります。もっとも住宅に囲まれていて、よくみないと動画冒頭の墳丘への登り口はわかりません。くびれ西側の両袖式の石室に加え、後円部にも無袖式の石室があり、それぞれお稲荷さんがまつられ賑やかなこと。残念ながら、無袖式の石室は今は施錠されているようです。
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