1 野塚3号墳(大藪古墳群)兵庫県養父市
2 南屋敷西古墳(野古墳群)岐阜県大野町
3 向山3号墳(向山古墳群)静岡県三島市
4 三ッ城古墳 広島県東広島市
5 甲斐銚子塚古墳 山梨県甲府市
古墳にワクワク(旧古墳を動画で見るサイト)へようこそ。なんでも実際に見てみないと気が済まない私。古代史ファンとして3世紀中頃から7世紀初頭に東北から九州まで造られた数多くの古墳の内、墳丘が残り実際に登れるものを訪ねはじめたのは2011年秋のことです。その間、偶然動画で撮った長野県千曲市の森将軍塚古墳が転機になりました。墳丘のスケールや石室の空間を味わうには動画が最適。そんな思いから撮りためたものを見て頂くことにしました。素人ですから古墳マニアの先輩諸氏や専門家の方々からは厳しいご指摘はあるかと思います。基本情報に加え一古墳につき1の動画(2-4分)を用意しました。なお以前は短い複数の動画を用意しましたが統合版として1本にする作業を行っています。この試みが古墳を具体的にイメージする一助となれば幸いです。
切石の美しい地蔵寺古墳をあとに住職の奥様に教えて頂いたルートで平荘湖畔に出てみました。神戸製鋼など播磨一帯の工業用水用に1066年に完成した人造湖ですが、石切り場が時折姿を見せる景色と実にマッチしています。3㎞ほどの距離を家形石棺の蓋が置かれているところなどをとおりながら歩くと目指す升田山15号墳の標識が湖畔に見えます(動画冒頭の湖沿いのシーンは帰路のものです)。と書くと簡単なようですがgoogle map を頼りに探したものの結局わからず、自転車を引いていたシニアを追いかけて聞く羽目に。小さいころからよくこの辺りは歩いているのでしっているよとのこと。すぐそこでした。標柱を見落としていたのです。小道を曲がり下った途中に藪に覆われた石室が開口していました。
そのシニアさんに一緒にどうですかというと、いやいやと首を振られてしまいました。石室というと墓というイメージが強く、軽々に出入りするものではないという考えの方も多いようです。他方、完全に古墳時代の人工構造物として、その形式や積み方の技術、使われている石材などに興味を持つ人もいます。私は後者です。話は脱線しましたが、意外といったら失礼でしょうか。長さ13mもある石室の規模に羨道の残りのよさに驚かされました。何度も触れていますが。羨道は欠損していたり、半壊状態だったりと完存ないし完存に近い状態というのはそれほど多くはないのです。地蔵寺古墳(クリックすれば飛べます)よりも石工の技術は表面の仕上げな洗練されてはいませんし、天井も高いとはいえず空間を感じるというほどでもありません。とはいえ全体が残っているというのは大変なメリットです(キャプションで側壁は3段としましたが4段のようです。なお墳形は円墳、径は35mだそうです(撮影2018年3月12日)。
升田山15号墳基本情報
所在地 兵庫県加古川市
形状 円墳
規模 径35m 高さ不明
築造時期 6C後
出土品 高坏、壺、器台等須恵器、馬具、玉
史跡指定 市指定
特記事項 1960年代の平荘湖建設にあたり調査が行われた結果、約100基からなる群集墳の1基であることがわかった。その多くが湖底に沈んだ。
蓮華文が彫られた石棺が収まる円墳
JR和歌山線の吉野口から歩いて15分ほどのところ、奈良盆地の南西の地域に二人の人物が埋葬された今回の水泥南古墳があります。二度目の訪問。動画をご覧になればわかるように径25mの円墳に築かれた狭い石室に大きな石棺が二基。石室全体の長さは10.8mもあります。前回の訪問時には奥の玄室にある石棺までは到達できず、リベンジのつもりでおじゃましたのです。迎えて頂いたご夫婦によれば、スリムな人が手前の石棺の蓋の上を這いつくばって奥の石棺に到達したこともあるようですが、今回も諦めざるを得ませんでした。奥の玄室の石棺は当時のブランド品、竜山石で造られており是非みたかったのです。
もっとも羨道に置かれた追葬された人物の石棺も非常に貴重なものです。縄掛け突起に大きく彫られた模様は仏教の聖花、蓮華です。被葬者が仏教に傾倒していたことは間違いがないでしょう。水泥南古墳が築かれたと考えられているのは7C初頭、推古朝です。既に前方後円墳の築造は終わり仏教が王権周辺にも広まりを見せ、飛鳥寺も完成し初の遣隋使も送られた時点です。仏教を積極的に導入した豪族の巨勢(こせ)氏の墓ではないかといわれています。既に紹介した水泥北古墳とセットでご覧ください。それにしても数多くの訪問者に対応されているご夫婦には頭が下がります。見学にはいくつかの申請ルートがあるようですが御所市教育委員会に連絡するのがよいでしょう(撮影2016年9月5日、2019年7月11日)。
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周濠に浮かぶ美しい墳丘
石室ばかり歩いていると墳丘がよく残る古墳に出会うとなぜかホッとします。今回の扇八幡古墳はそんな一基でした。復元された古墳ではありませんし墳丘は木々に覆われ、ところどころ倒木もみられるといった状態でしたがまぎれもない前方後円墳の姿がそこにはありました。3mから5mほどの周濠がきれに残り、それが60m弱の墳長を実際よりも大きく見せています。冬の日差しが差し込んでやや見づらいのが残念ですがお気に入りの一基になりそうです。
墳丘は後円部径よりも前方部幅のほうが大きい後期の前方後円墳の特徴を示していますが、残存する前方部の墳丘はさほど裾が広がっているようにはみえませんでした。封土が流失したのでしょうか。肝心の埋葬施設ですが調査が行われておらず不明とのこと。しかし南東約300mのところに同じ時期に築かれた前方後円墳の箕田(みだ)丸山古墳があり横穴石室が残されているので、扇八幡古墳も横穴石室と考えられます。アクセスはJR九州日豊本線で行橋駅下車 タクシーでみやこ町歴史民俗博物館まで行き、学芸員の方に案内して頂きました(歴史民俗博物館のHPに入ると「現地研修のお申込み」という書式があります(撮影2017年3月28日)。
みやこ町の各古墳は以下の古墳名をクリックすれば飛べます。
甲塚古墳
橘塚古墳
綾塚古墳
所在地 福岡県みやこ町
形状 前方後円墳
規模 墳長 58.4m、後円部径36m 高さ7m、前方幅49m 高さ5m
2段築成 葺石あり
築造時期 6C前半
出土品 円筒埴輪片
史跡指定 県指定
特記事項 東南300mのところに同じころに築かれた墳長40m二つの横穴石室を持つ箕田丸山古墳がある。